- 米中国交正常化
- 1972年2月18日北京における毛沢東=ニクソン会談
- この日、すでに椅子から立つのにも苦労するほど健康状態が悪化していたにもかかわらず、毛沢東はニクソン大統領と握手し、同盟各国の頭越しに米中国交正常化を成し遂げたことは全世界の驚愕を呼び起こした
- 82歳で死去
- 毛沢東の死の直後に腹心の張春橋・江青・姚文元・王洪文の四人組は逮捕・投獄され、文化大革命は完全に終了
- 遺体は現在、北京市内の天安門広場にある毛主席紀念堂内に安置され、永久保存・一般公開されている
- 文化大革命
- 1965年になると、新編歴史劇『海瑞罷官(かいずいひかん)』を「大毒草」であるとした上海の新聞ブンワイホウの論文への支持を表明、作者の北京市副市長呉晗を失脚に追い込む
- 1966年には過激派青年たちの暴力行為に対し「造反有理」として支持を表明
- 江青・林彪らを中心とし、実権派・走資派を修正主義者として糾弾する広汎な暴力的大衆運動であるプロレタリア文化大革命への流れが決定付けられた
- 文化大革命では、紅衛兵による大量の殺戮が行われ、その範囲は劉少奇(1968年に失脚)らかつての党指導部にまで
- 教師ら「知識人」や、国民党と少しでも関わりのあったものを徹底的に迫害、文化財を破壊する等の極端な左傾偏向主義運動に発展
- 犠牲者の合計数は数百万~2000万とも言われている
- 文化大革命で鄧小平・劉少奇などの「実権派」を次々と退けた
- 1971年の林彪墜死事件以後は、鄧小平らかつて失脚した者を政権内に呼び戻しポストを与えるバランス感覚を発揮
- 死後の評価
- 天安門広場に飾られる毛沢東の肖像画大躍進政策の失敗や文化大革命など、国を破滅の一歩手前に追い込んだ失策も数多いものの、中華人民共和国を建国した貢献は大きい
- 市場経済化が進む現在も国父として崇拝
- 中国では神格化
- 失策についての資料は国民に一切見せようともせず、さらにはインターネットなどの検閲により黙殺している
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