- 満州事変までの経緯
- 1905年 日本は日露戦争で勝利
- 関東軍は張作霖が乗る列車を爆破殺害した(張作霖爆殺事件)
- 張作霖爆殺事件は国際的に不問となった。しかし、張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本に対する敵対的な行動を取るようになり、南満州鉄道のすぐ横に新しい鉄道路線などを建設し、安価な輸送単価で南満州鉄道を経営危機に至らしめた。これに危機感を感じた関東軍は再三に渡り抗議するが聞き入れられず、石原莞爾(いしはら かんじ)、板垣征四郎の指導のもと、満州事変を決意する
- 柳条湖事件
- 1931年9月18日の夜22時過ぎ 奉天(現在の中国遼寧省瀋陽 (Shenyang))北方約7.5kmの柳条湖の南満州鉄道線路上で爆発が起き、線路が破壊される事件があった。駐留していた日本の関東軍はこれを中国側の張学良ら東北軍による破壊工作と断定し、直ちに中国東北地方の占領行動に移った
- この爆破事件のあと、南満州鉄道の工員が修理のために現場に入ろうとしたが、関東軍兵士によって立ち入りを断られた。また、爆破直後に現場を急行列車「はと」が何事もなく通過したことからも、この爆発がとても小規模だったことが伺える。
- 柳条湖近くには中国軍の兵営「北大営」があり、関東軍は爆音に驚いて出てきた中国兵を射殺、その後北大営を占拠。翌日までに奉天、長春、営口の各都市も占領した
- 実際には、爆破は関東軍の虎石台(こせきだい)独立守備隊の一小隊が行ったものであり、つまり関東軍の自作自演であったと、後に満洲事変勃発時少佐で関東軍参謀であった花谷正が証言している
- 日本では長く「柳条溝事件」と称されていたが、これは当時日本へ伝えられる際の誤りだったと近年になって判った。現場の地名は「柳条湖」である。
- 中国では「9・18事変」(九、一八事変)と呼ばれる。日中戦争に関しても、抗日運動の始まりという観点からこの柳条湖事件を発端とする主張が有力という。
- また、現在柳条湖の事件現場には九・一八歴史博物館が建てられている。
- 関東軍の独断
- 日本政府は事件の翌日に緊急閣議を開いた。南次郎陸軍大臣はこれを関東軍の自衛行為と強調したが、幣原喜重郎外務大臣(男爵)は関東軍の謀略なのではと疑惑を表明、外交活動による解決を図ろうとした。そして9月24日、閣議では「事態をこれ以上拡大しない方針」が決定した。ところが、関東軍は政府の決定を無視して、自衛のためと称して戦線を拡大していった。
- 石原莞爾 その1
- 彼の略歴
- 石原莞爾 その2
- (1889年1月18日 - 1949年8月15日)
- 昭和の大日本帝国陸軍軍人、陸軍中将
- 明治(めいじ)慶応の後、大正の前
- 1868年9月8日から1912年7月30日までの明治天皇在位期間を指す
- 1867年 慶応3年 徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜が、天皇に大政奉還
- 大正(たいしょう)明治の後、昭和の前
- 大正天皇の在位期間である1912年7月30日から1926年12月25日までの期間を指す
- 昭和(しょうわ)大正の後、平成の前
- 昭和天皇の在位期間であった1926年12月25日から1989年1月7日までの期間を指す
- 日本の元号の中では、64年(厳密には62年と2週間)は最も長く続いた
- 日本史の歴史年表には箇条書きにされた数々の事柄がある。
- それは正しいこと過ち、栄えある事柄、恥ずべき事柄。様々。
- 私は、一市民である。
- 庶民である。
- 戦争期間中、この街では何が起こっていたのか?今の世の中のように、あなたが飽食に暮れていて世界のどこかでは飢餓に苦しむ人がいること。
- 感覚として頭では理解できても、それを自分のことにして考えることは難しい。
- そんな世の中に生きているものとして、何が起こっていて、過去に何が起こって、そいて今があるのかは、最低限知る義務があると私は思う。
- 何かのアクションを起こすことが有意義なのか、知るだけでは無意味なのか?
- 神武景気(じんむけいき)
朝鮮戦争 サイト紹介
蒼空の果てに永 末 千 里
- 朝鮮戦争
- 1950年6月25日 - 1953年7月27日停戦成立
- 朝鮮全土を戦場として、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が戦った戦争。
- 1945年8月 日本が連合国に降伏し、第二次世界大戦が終結
- 東西冷戦の影響下
- 1946年2月 北半部では、ソ連が後押しするパルチザンの指導者だった金日成を中心とした共産勢力は「朝鮮臨時人民委員会」を設立
- 1947年6月 戦時中アメリカを拠点とした海外において独立運動を進めていた李承晩を中心に「南朝鮮過渡政府」を建てた
- 1948年2月 朝鮮人民軍を結成、3月には南半部への送電を停止した
- 1948年8月13日 アメリカは、北半部での動向を無視し李承晩に大韓民国を建国させた
- 1948年9月9日 ソ連の支えによって朝鮮民主主義人民共和国を成立
- 1949年6月 北朝鮮は祖国統一民主主義戦線を結成
- 毛沢東の中国共産党が勝利し、
- 1949年10月1日 中華人民共和国が成立
- 1950年6月25日 - 1953年7月27日停戦成立
- 朝鮮全土を戦場として、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が戦った戦争。
- 1950年6月25日 北朝鮮軍約10万が38度線を突破
- 三日間の空白
- 朝鮮特需
- 朝鮮戦争にともない在朝鮮アメリカ軍、在日アメリカ軍より発注された物資やサービスを指す。また在日国連軍、外国関係機関による間接特需という分類も存在する。
- 朝鮮戦争勃発直後の8月25日には横浜に在日兵站司令部が置かれ、おもに直接調達方式により大量の物資が買い付けられた。その額は1950年から1952年までの3年間に特需として10億ドル、1955年までの間接特需として36億ドルと言われる。
- 神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、列島改造景気
- ※1950年6月25日 - 1953年7月27日停戦成立)は、朝鮮全土を戦場として、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が戦った戦争。
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